「クールジャパンは終わらない」

少し長いですが5年ぶりにアメリカに行ってまったくその通りと自分も感じたので。。。

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「クールジャパンは終わらない」JMM(Japan Mail Media)より
 今月、日米を何度か往復してみて感じるのは、日本のおけるアメリカの存在感が更に低下してきているということです。原発への疑念からエネルギーを使用する生活形態のイメージが悪化し、また経済成長や人々の上昇志向も弱くなる中、「アメリカ発」のあらゆる文化が日本の中で存在感を薄めていっているように見えます。これに「ビンラディン殺害」などというニュースが加わると、オバマの「チェンジへの期待」というような感覚も、日本ではしぼんでしまったわけで、益々「脱アメリカ」というのも仕方がないように思えてきます。
 政治経済だけでなく、日本から米国への留学生数が激減しているとか、あれほど日本で人気を獲得していたメジャーリーグの野球が、松坂投手のケガや松井選手の不振などもあって注目度が下がっているなど、「アメリカと日本」を結びつける文化の絆も細くなっているようです。日本に来て驚くのは、映画界における「ハリウッド」の存在感の低下ですが、これも近年は益々激しくなっています。
 確かにこれは「内向き志向」です。内向きといえば、今回のG8ドービル・サミットでは、原発問題と並んで「アラブ民主化」の動向へのG8の対処という問題が大きく扱われていますが、この問題に対する日本国内の反応も鈍いものがあります。オバマサルコジ、キャメロンといった欧米の首脳としては、この問題に関するスタンスは明確です。それは2本のストーリーを外さないということです。一つはサウジ防衛であり、もう一つはパレスチナ和平のゆっくりとした前進です。
 実は前者がホンネであり、後者はそのためのタテマエ的なアリバイ作りのような関係がある一方で、後者でブレないことで「アラブの大義」が怒濤のように反欧米に流れないようにする、そうした複雑な、しかし「他に取りようのない」スタンスを彼等は取っているわけです。その結果として、エジプト民主化をどう穏健なソフトランディングにするか、リビアカダフィとシリアのアサド・ジュニアをどう「追い出す」かが喫緊の課題ということになるわけです。
 そうした論評も日本では全く聞かれないわけで、勿論これは震災と原発事故の非常時モードが継続している以上は仕方がないわけですが、とにかく「内向き」の感覚が非常に強いのは間違いないでしょう。ただ、私が最近感じているのは「内向き」ということだけではないという点です。
 最近、70年代のハリウッドの「古典」というべき、ウディ・アレンのコメディ映画『アニー・ホール』を見る機会がありました。軽妙なトーク、自己主張と自虐的な内省を往復する独特の感性、若き日のダイアン・キートンの居直ったような不思議な存在感など、大昔に見た印象は変わらない一方で、演出と演技の切れ味については、現在の老いたウディ・アレンばかり見ていた自分と比べると実に新鮮な印象があったのです。
 そこで、たまたま日本のネット上の批評サイトに行って、匿名の映画好きのコメントを見てみたのですが、そこで私は驚きました。書き込みの三分の一ぐらいが、作品への違和感の表明だったからです。つまり、ウディ・アレンのキャラが「オレ様」だとか「屁理屈ばかり」あるいは「うるさい」という印象、更には「こんな人間が周囲にいなくて良かった」というような調子での拒否感と言っても良いようなコメントもあったのです。
 勿論、アメリカ文化に関する情報が極端に細っているので、ニューヨーカーの行動パターンとかユダヤ系の意識など前提がスッポリ抜け落ちていて楽しめないということもあるでしょう。ですが、それ以上に、言葉を連ねることで他人との関わりを断ち切らないように、自分が自分であることが途切れないように必死に生きて、その行動パターン自体を一種のパロディにするというような「濃い」生き方やコミュニケーションスタイルが、現代の日本の若者文化とは対極にあるということも大きいのだと思います。
 非常に簡単に言ってしまえば、日本では「自尊感情はマイナスがデフォルト」という感覚が行き渡っており、それがウディ・アレン的な「言葉と関係性」の「過剰なリア充」に対しては強烈な違和感となってしまうのでしょう。
 ウディ・アレンの「芸」というのは、アメリカ文化の中では相当に左に属しており、保守本流でも何でもないのですが、言葉を信じたり、人間と人間の関係性を信じたりという点では、確かに「アメリカというイデオロギー」の一つを形作る存在だと言って良いと思います。そのウディの「言葉の奔流と関係性への執着」そのものが受け入れられないのであれば、そのことは日本の若者の心理の中で「アメリカ」がいかに遠いかを真剣に考えざるを得なくなります。
 かといって私は日本の「内向き志向」や「自尊感情はマイナスがデフォルト」という状況を非難しようとは思いません。それぞれに、十分に理由があることであり、因果関係の連鎖の果てに起きた現象としては、アメリカをはじめとする他の産業社会よりは「先行している」社会現象だと思われるからです。
 ですが、一つだけ言えるのはそうした「アメリカ的なるもの」に距離を置き「言葉や関係性」を信じることができないことの果てに、大きな誤解が生まれているということです。それは、今回の震災そして、特に福島第一原発の事故を契機として「日本ブランドが傷ついた」とか「クールジャパン現象は終わった」という類の評論です。
 私の見るところ、少なくともアメリカではそうした現象はほとんどありません。震災があっても、原発事故はあっても、渡辺謙さんは依然としてクールであり、村上隆さんの作品は売れ続け、宮崎駿さんはアニメ界の神様であることには変わりはないのです。
 放射線の風評で日本の食材が売れなくなったという現象も一瞬はありましたが、例えば私の住む東海岸では、日本食のブームに翳りが生じたという傾向はほとんどありません。また、アニメやデザイン、自動車やゲームなどの日本文化への評価が「放射能で汚れた」というようなことも起きていないのです。
 この「クールジャパンが終わった」うんぬんという一連の言論というのは、例えば汚染水流出に関して国際的非難があったとか、各国が原発事故を受けて自国民への避難命令を出したというようなニュースの延長として、いわば「自己卑下的なセルフ風評」として日本人の一部に起きているのだと言えますが、事実ではありません。
 例えば、ニューヨーク市が市内の「イエローキャブ」と言われるタクシーの車種に日産自動車の製品を一括大量採用したとか、過酷なサバイバルゲームである「サスケ」が日本での放映内容そのままの状態で、三大ネットワークがゴールデンタイムに放映するとか、震災後の具体的な動きも見ても「クールジャパン」の評価が継続していることは明らかです。
 では、どうして原発事故を起こしておきながら日本のイメージが傷ついていないのか、日本のテクノロジー神話が健在なのかというと、これは圧倒的な情報量のおかげだと言えます。とにかく「ニューヨーク・タイムス」にしても、CNNにしても日本の震災、津波、そして原発事故の報道は詳細を極めています。科学的な解説も多いのですが、日本の官僚や大企業の体質、政治家の行動パターンなどは本当に細かなことまで報道されているわけで、そうした情報に接している人は「東電や経産省は信用できないが」日本という大きな国の技術や文化は大丈夫というように、是々非々の姿勢で受け止めることができているわけです。
 今回のサミットについても「日本への不信が目立った」などという報道もあるようです。ですが、基本的な各国の姿勢は「津波被災という異常事態」が前提にあるという認識であり、そのウラには「津波の可能性の少ない自国の原発は大丈夫」だということにしたい政治的な思惑があるのですが、そうした「不純な」動機とは別として、今回の事故が「日本人が劣っているために発生した人災」とは見ていないということは、やはり確認しておいた方が良いと思います。
 更に言えば、今回の震災後に見せた日本人の行動、例えば停電時の整然とした秩序、帰宅困難に陥った通勤客の冷静な行動、あるいは助け合いの精神などは、アメリカのメディアでは繰り返し大きく取り上げられています。それは単にニュースとして珍しいから報道しているのではなく、明らかに「日本文化の深み」として認識されているのです。例えば、先週に発生したミズーリ州での大規模な竜巻被災に際しては、アメリカ人の中から「日本の被災地のように助け合って頑張ろう」というような発言が出ているのを見ると、それは明らかです。
 今現在、日本のムードが内向きになるのはやむを得ないと思います。また現在の日本の若者の間に「自尊感情はマイナスがデフォルト」的なセンチメントが蔓延しているのも過去の複雑な経緯の結果として抜き差しならない現実であると思います。それはそれとして受け止めつつ、その両者が絡み合うことで「クールジャパン滅亡説」なる風評、マイナスの自己評価が広がるのは「ちょっと待った」と申し上げたいのです。それは明らかに事実に反しているからです。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党アメリカ 共和党アメリカ』などがある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーションズ)( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
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今回大前さんの本の中に日本と同じ原発事情にあるのは世界中でもカリフォルニアの数基だけとありました。地震津波と両方が起こる可能性という意味です。そういう状況では日本の状況は特殊と捉えられていて中国ではあの進んだ日本でこうなったのだから遅れた自分達がこんなに原子力を作っていいのかというきちんと現状把握した議論が展開されているとの事です。